非実在問題訂正、他

この記事をこのまま残しておくと問題になりそうだったので、更新します。


ゾーニングが対案となり得るのは、児童ポルノ改悪法案についてです。
つまり、児童ポルノ準児童ポルノ(アニメ、漫画ポルノ)を含むかどうかの議論についてで、非実在青少年については効果がないです。


わかった段階で修正しておくべきでした。
申し訳ありません。


この非実在青少年条例案については、相手側の主張もゾーニングです。
そのゾーニングの枠組みの決め方が論点です。

条例案は『枠組みを法的に定める』
現在は『自主規制による』

つまり、ゾーニングを法的に行うことが問題だったのです。
ここからここまで一般向け、ここからは18禁……なんて、客観的な基準がおけるわけがありません。
だから『性的に見えたら』や、『より悪質で倫理性に欠ける』など、主観による規制になります。
これは明らかに表現の自由を侵している。
恣意的に悪質な表現が決められることに問題があるのです。

ですので、ゾーニング強化!は共有されているため、ジャブにはなりません。

非実在青少年問題について


出来れば何か変わればいいな。。。



非現実青少年の問題についてです。
この問題の詳しい内容は、http://hijituzai.ehoh.net/ に有志の方がまとめてくださっています。



今回の都議会の件がどうなるかはわかりません。しかし表現規制について、これからの方針にもなることなので提案させてください。


提案は一つだけです。
規制に対する第一声を 「ゾーニングの徹底!」 に変えませんか、ということ。
つまり 「表現の自由」 を利用した批判をやめようということです。


なぜなら現状は、 我々(=反規制派)の主張 と、 世間の我々に対する認識 との間にギャップがあるからです。
規制したい方々が、我々に間違ったレッテルを貼り、印象操作をしています。



私の見た感じでは、我々はこういう事を主張しようとしています。



「規制反対! 表現の自由を守るべきだ!」
「じゃあどうやって子供を守るの?」
「ちゃんと棲み分け(=ゾーニング)すればいいじゃないか」


しかし規制派は 「じゃあどうやって子供を守るの?」 なんて訊きません。

世間から見た主張のぶつかり合いは、このようになっていると思います。



「規制反対! 表現の自由を守るべきだ」
表現の自由をはき違えている! 憲法を言い訳に使っている! 子供を食い物にしている!!」


皆さんも、規制派のこの発言に見覚え有りませんか?
そして、もどかしい思いをしたことがあるのではないでしょうか。


私達に言わせれば、それこそ言い訳なのに。


だから私はこの対策を提案したいのです。
その対策とは、『我々も初めから手段を主張しよう』ということです。


規制派が主張する
「規制しよう!」 「規制しよう!」 「規制しよう!」

の声に対し
ゾーニング(=棲み分け)の徹底!」 「ゾーニングの徹底!」


と返します。
手段の主張に対し手段で返す。
規制という手段に対し、こちらも第一声でゾーニングという手段を主張します。


手段の対立になったなら、規制派は『規制がゾーニングより優れていること』を示さなければならなくなります。
そうなれば本来正しい「ゾーニングの徹底」という主張の方が強いです。なぜなら、ここでやっと表現の自由が使えるからです。


だから我々は、 「反対!」 と発言するとき意識的に 「ゾーニング」 という言葉を使っていきましょう。
「規制しよう!」 の声に対し、第一声は 「ゾーニングの徹底の方がベターだ!」
と、積極的にこの言葉を使うようにするのです。


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少し話は逸れますが。
表現の自由」は正しいですが、これを使うと相手の思うつぼなのです。直接子供を守れませんから。『表現の自由を言い訳にした変態』という認識を植え付けられておしまいです。我々も子供は守るべきだと考えていますが、その手段が規制であることが問題なのです。しかし、「表現の自由」を議論の出発点にした場合、規制側は我々に子供を守る手段を発言させません。「表現の自由」を発言すると即座に「無理な解釈による言い訳だ!」となります。ですから、主張の最初に、手段を主張することが必要なのです。「ゾーニングの徹底で子供を守ろう」という主張ならば、規制派も我々も『子供を守る』ところまでは共通前提になります。あとはその手段を比較するだけなのです。ここまできてやっと、我々の正当性が主張できます。規制側は、規制がゾーニングよりも優れていることを示さなければいけません。しかし我々は、表現の自由がバックにあるので、理論構造が強いです。
もちろん印象操作に長けているので、逆転とまではいかないかもしれませんが、憲法はそうそうないがしろにはできません。

また、著名な作品(宮崎アニメなど)を例示して「これも規制されるかもしれないんだぞ!」という主張は、例え過去に実例があったとしてもあまり有効な手段ではないと思います。規制側は「そんなわけないでしょ(笑)これは対象ではありませんよ、そんな極論で言い訳をして……」と言えばいいだけだからです。根拠を示さなくても、ほとんどの一般人「だよなぁ〜」と思っておしまいです。

こういった問題は、正しい正しくないかではないです。投票権を持つ、多くの無関心な第三者がどう思うのかが問題なのです。


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だから、
『規制と言ったらゾーニング
これを徹底的に主張していく必要があるのです。




以上、私の主張でした。



ちなみに私が言いたいのは、一つの 『手段』 です。ゾーニングの徹底が最高の解決策ではありません。あくまで過剰規制に対し、ある程度の強度を持った『手段』がこれしか見あたらなかったので、ゾーニングを取り扱っただけです。
すごく割り切って考えました。




もちろん議員さんへの働きかけや集会はとても重要だと思います。
しかし、もう少し緩いレベル(ネットサーフィンしたり、掲示板に書き込んだりする程度)の活動しかしないよ、という人はせめて 「ゾーニングで十分だ!」 との主張を徹底した方がいいんじゃないかなぁと。。。






以上です。

長々と失礼しました。

初めてこんなことしたのでビクビク(;-Д-)

でもコメ欄は解放します。



そういえば幻冬舎新書から出ている宮台真司さんの日本の難点のp.145に、ヨーロッパのゾーニングの例が載っていました。

フランスでは夜9時から、ドイツでは夜12時からテレビ番組での性描写がオッケーになるそうです。

これ、議員さんへの働きかけにうまく使えませんかね?



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3/11 アドバイスを頂いたので、ところどころ微修正を加えています。
   また内容を変えない範囲でも、読みやすいように修正していきます。